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2005.10.30

犀鶴線ドライブ

犀鶴線が開通したと新聞に出ていた。
随分前に森林組合から工事の説明書が来ていたが、先日獅子吼高原からも道らしきものが見え、あれが犀鶴線かな?と思っていた。

午後悠が「行って見る」と言うので同行。
取り付き口が分からないのでとりあえず「堂」へ行く事にする。
内川ダムからガードレールも無い細い道を随分進むと、廃村になった堂町です。
30utikawa.jpg
  14:27分
 30bunnkou.jpg
家や畑も少しあるが土日に来ているのでしょうか。
やがて内川小中学校菊水分校跡の石碑があり、明治11年に小学校・昭和24年に中学校、そして47年に閉校と書いてある。

山の狭間の小さな平らに「堂」の村はあった。
昭和30年代鶴来町の家で朝早く掃除をしていた頃、時々絣の着物に木の背負い子を担いだ人を見かけた。
「堂から山越えをして買い物に来た人や」と聞いた。

{遊は・・・高校時代にそういう道があることを聞き、友人と途中まで行ったが辛くて暗い登りが続き怖くなって帰った事があるのです。・・・今思えば、行っても帰る手段が無かったのですね・・・}

その内金沢市に編入され、「市祭に遊びにおいで」~と言われた、など笑い話を聞いたことが有る。
内川小原を経て金沢への道は長く、山越えで鶴来町へ出た方がはるかに近かったのでしょう。

30tani.jpg

「菊水大橋」を渡りつづら折れの道をぐんぐん上がり獅子吼高原の裏辺りへ出る。
先ほどの谷ははるか下になった。
少し南へ進むと獅子吼高原が遠くに見え手取川と鶴来町が見渡せる。
14:50
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車道はうねうねと長いが車だと早く、家を2時少し前に出て、3時過ぎにには県の手取りダム調整地を横に見て下の国道に下りた。
悠は「この道は他の人を乗せて運転したくない」と言う。

この林道はどういう目的で作られたのでしょうか。
走って見れば新しいのは鶴来側の登り口位で随分前から延々と作られていたものと思われる。
途中に村も無く裏へ廻っても植林も大してしていないし、之と言って見るものも無い。
長い長い期間を経て作られる公共事業は、人の知らない所で莫大な税金の無駄遣いをしているように思う。
これからの維持費も大変で金食い道だと思う。
帰ってから検索して見たら興味深い記録が沢山出ていた。

nameko.jpg

天然のなめこを頂いた。
昨日今日と食べ過ぎたので、どこかで見たなめこ丼にしようかと思ったが、ご飯は沢山食べたくないし悠も嫌いなので、あっさり具沢山のきのこ汁にした。
大根おろしとなめこ・胡瓜の酢の物も作り、ヘルシーな秋の夕食です。
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