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2015.08.29

お食事会 

お料理が夏休みなので外で楽しみました。

処は小立野の高台で新しくオープンしたお宿「緑草音」のお食事処です。

25緑草音料理1

隅々にまで行き届いた美味しいお料理でした。
メニュー以外にも季節の無花果のてんぷらや水タコの酢の物もでて、嬉しかったのは北陸では珍しい鱧のたれ焼です。
水茄子と胡瓜のお漬物は大振りの鉢に氷水に浮かべて有り、鯛ご飯もお代わりしました。

この頃使わない九谷焼の銚子に黒蜜が入っていて、このアイディアは頂き!

お食事の後で、某実業家邸宅をお宿に改装されたお部屋を見せて頂きました。
古い屏風や欄間を上手に使ったお部屋はそれぞれ違うタイプで、白木の格子組みがきれいでした。
お茶室のお庭を拝見したかったが、此処だけはふさがっていて残念でした。

25緑草音2

皆さん満足 又季節を変えて来たいね・・・

緑草音はこちら
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2015.08.25

8月後半 お出かけ

18玄関花
お盆が過ぎて待望の雨も降り幾分しのぎやすくなりました。
何よりも日が短くなり、季節の移ろいを実感しますね。
酷暑が続いたので庭の花は何も無くて、玄関周りの小花だけです。

7月中頃から、急に土蔵の整理をすることになり、お盆を挟んで子供達も交互に手伝ってくれて慌ただしく過ごしています。
・・・・
18日に2ケ月ぶりの眼科検診のために久しぶりに街へ出かけました。
所が財布を忘れてしまい、支払は振り込みにして、寄り道無しで帰る積りだったが、悠の用事で来宅した娘が見つけてメールをくれ、迎えに来てくれました。
悠の昼食も用意してくれたので、二人でランチすることにしたが、生憎目指した所二か所は駄目で何十年振りに小橋お多福へ。

昔、彦三一番町はお屋敷町で戦後進駐軍に接収された大きな家もありました。
長姉が所帯を持った昭和26年頃、私は洋裁学校に通っていて、小橋の詰めの「おたふく本店」近くの家に良く行きました。
その後昭和42年頃に実家も夫婦二人の小さな家を、小橋近くで浅野川を見下ろす処に構えていました。
が、母はその頃に60歳で亡くなった思い出深い場所なのです。

今の町は大きく様変わりして、「おたふく」も「福は内」などと構えが大きくなっていました。

18おたふく

蓮根の素揚げによもぎ餅入り、と海藻のかき揚げ、どちらも美味しかった。




23日  笹本恒子 100歳展

かねてから行きたいと思いつつ出られない内に早や展示最終週になりました。
「80老女二人旅」と称して、姉とバスや電車を乗り継いで富山近代美術館の「無言館展」と両方計画していたのですが、娘が車で連れて行ってくれることになり、急遽日曜日出かけました。

笹本さんの事は「徹子の部屋」で知り彼女の生き方に魅かれたのです。

23ふくおか1

今話題の人 安藤忠雄氏の設計された建物は、外観はコンクリートのビニールハウスかシェルターのようですが、トンネル状の内部は屈折していて落ち着ける空間でした。
戦後の著名人の写真が多く、女性らしい柔らかな視点で写されていて楽しく見せて貰いました。

買ってきた「100歳の幸福論」を読んでいます。

23ふくおか2

福岡(高岡市)は菅笠の産地で日本一とか、その元締の旧家が「雅楽の館」として開放されていたので見学しました。
漆塗りで組上げた天井や周りの木組みが素晴らしい家でした。
雅楽の演奏と舞が年に二回開催されるそうで、週に一度の稽古を積んでおられるそうです。

北国街道らしい名残も残っておらず町は昼時だったせいか?人影も見当たらず静かでした。
裏の土蔵が手打ち蕎麦屋だったのでお蕎麦を頂き、その裏沿いにある「殿様清水」を見て帰りました。

Posted at 01:07 | お出かけ | COM(4) |
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