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2009.04.11

老谷の大椿

春は雑用が多くて又ブログのアップが間延びしてしまいました。
花冷えが長く続いた後に今週は気温も上がり、桜さくら~の上天気になりましたね。
お料理に畑、桜と沢山溜ってしまいましたが、元気を出して・・・先ずは


老谷の大椿 4月4日
三月初めにショパンさンの所でこの写真と記事を拝見して圧倒されたのが始まりです。
○十年前に椿に凝って北陸地方の名花や番付などを興味深く見ていたことも有りましたが、この大椿は全く知らなかったのです。
直ぐ色々調べ地図で検索しましたら案外近くて行けそうなので、Masakomamaとnaoちゃんにお願いして出かけることになりました。
4全景

羽咋市志雄町から山越え大回りをして氷見市岩瀬 行願寺を目印(カーナビ)に。
志雄町のたにぐち菓子店の「おだまきが美味しいよ」と通りすがりに買い求め、土手の桜並木も満開にはさぞかしと思われる所を過ぎました。
思っていたより道幅も広く県境の峠を過ぎて直ぐ「大椿近道2キロ」の看板が出ていたが何故か通行止め。
立派な道なのですり抜けて進んだが崖崩れで駄目でした。歩けば直ぐのような気もしたが戻ってぐるぐる回り行願寺で其処から標識に従って直ぐでした。
大きなお家の方の持ち山らしく簡易トイレに生水の手洗いまで設置してあり、案内地図や道も整備されて、この家の方の椿への愛情が伺えました。
周りの畑にも色んな椿が植ええあり、其処から歩いて直ぐの所にその大椿は鎮座していました。

前述の写真の印象が余りにも強烈だったので、沢山の支柱に支えられ大きな傘をかぶったような葉陰に幹が隠れていた為かイメージが一寸違いました。
階段が作られていて、上がると「さしまたの椿」と呼ばれる由縁の幹がどーんと目の前に飛び込んできます。
樹齢500年の幹は多くの支柱に支えられながらも、青々と茂り沢山の赤い花をつけて、簾のように垂れ下がっていました。
きちんと手入れをしておられようです。
私のカメラでは入りきらずNaoちゃんの広角で撮られたものを

4nao.jpg

何枚かを合成して一寸グロテスクですが、初めのイメージに近づけた物を見てください。
考え無しで撮ったので無理して暗転部に散り椿を貼りました。
4大椿
一番下の写真では幹が少し見える。

着いた頃から小雨が降り出し、途中雨に濡れながら伸びたフキノトウを摘んできました。
同じ道を帰り、羽咋の上杉でお蕎麦を頂きました。
途中で試食した黒米の粉で作った皮に胡桃味噌餡の「おだまき」が美味しくて、寄り道したかったが、16日から20日間M座に出品されるそうなのでそれまでのお楽しみに。
他にヨモギや白・黄・ピンクの皮は総て米粉だそうで餡も粒餡漉し餡味噌餡で3日たっても柔らかいままでした。



富山県指定文化財
(天然記念物)
昭和40年4月1日指定
 
 左右2本のツバキのうち、大きい方が指定となっている。ヤブツバキで、幹回り3.4㍍、樹高6.6㍍、枝張りは、東西約8㍍、南北約11㍍の広がりがあり、その面積は約50平方㍍(約15坪)を占める。樹齢は500年以上と推定される日本でも屈指の巨樹で、3月中旬から4月中旬にかけて真紅の花を枝いっぱいにつける。落ちた花で周囲が敷き詰めたようになている様は格別である。

 地上80㎝から太い3本の幹に分かれ、さらに伸びた枝が複雑に絡み合うその形状は異様で、「刺股(さしまた)の椿」の別名がある。
その昔、飢饉に苦しむ民のため城主に直訴した家老が怒りを買い、一族の男子が刺股で処刑された。飯原家から娘が嫁いでいたが、夫の非業の死で悲しみのうちに亡くなり、娘の墓標の代わりにこのツバキが植えられたという伝説がある。

富山県教育委員会
氷見市教育委員会  看板より





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Posted at 23:16 | お出かけ | COM(14) |